月にむかってうなずいた、の話。

最近、映画ばかりを観ようとする。


起き抜けの朝より仕事帰りばかりが多いのは、
映画館で観る楽しさに気づいてしまったから。
世の中の、新宿のど真ん中にあるような、
時空ポケットに転がり落ちてたどり着いたような劇場。
外の世界が滅亡に近づいたって、誰にも言われなきゃ分からない。
観ている間にも人が出入りする美術館や、
ライブや演劇みたいなナマものでは遮断された気持ちにならないし、
読書なんて水泳みたいで、息継ぎするのに空を見上げないとすぐ終わる。


本当にすぐ終わるのだ、やわな集中力や
世界から浮遊しているという意識なんて。


2011年の夏に、私は「自分のペースで自分の好きなものだけを観ようとする
美術鑑賞はもう終わり!今は嫌なものや自分のペースに合わないものでも、
我慢して、堪えて、汗ダラダラ垂らして、目を見開いて受け入れるべき。
つまりは、演劇や映画鑑賞をせねば」と月に向かって頷いたけど。


2014年の夏に気づくのは、そうやって自分の心身を物理的に動かして、
鑑賞することにくたびれてしまっただけなのでは、と少し動揺している。


もちろん、そんなふうに思わせない映画や演劇はたくさんある。
だからこそ、そうやって動揺するのは間違っている。


動揺する一方で、なぜ映画ばかり観ようとするのか。
今ふと思いついたのは、映画は総合芸術のトップアスリートだから。
でも長らく持っている疑問に対して芽生えた、刹那的な答えなので、
あまり信用していない。たぶん違うだろうし。


なぜ映画なのだろうか。でも映画ばかりが観たい。