じゆうさくぶん

ウィスパーボイスなんて、の話。

ウィスパーボイスなんて大嫌い ウィスパーボイスなんて大嫌い そんな言葉、なくなればいいのに。 ウィスパーボイスなんて大嫌い ウィスパーボイスなんて大嫌い そんなもの、この世にないよ。 というポエトリーリーディングでも 日本語ラップでもない何かが …

絵はお好きですか、の話。

友人が「絵はお好きですか?」と ミュージアムショップ店員に尋ねられ、 思わず答えられなかったという話が好きで。 ずいぶん前につぶやきで見かけたものだけど、 今でもよく思い出すのでした。 そして、ここ数日のあたしは、 その質問に「はい」と答えられ…

ラップと落語の次は、の話。

日本語ラップブームがおとなしくなり、 落語ブームが定着し、 その2つは関連があると勝手に思っているので、 次はグラフィティブームが起き、 書道ブームが起き、 それらにも関連があると勝手に予想しています。

もやもやのためのもやもや、の話。

自信が朽ち、地面にべとっと落ちたのは、 頭の中を埋め尽くしていたはずの 多くの言葉たちであります。 自信を持たない脳内は、 言葉を生み出す機能が傷を負い、 もやもやが本当にもやの状態で、 そこにあるわけです。 昔のもやもやは、溢れだす言葉たちを …

愛称をつけた未知の大海、の話。

固有名詞は使わない、が自然と決めごとでしたから、 あたしの言いたいことは どこの地面にも着地しません。 でも最近は、いっときに比べ、 文章の溶け具合が穏やかになり、 言葉がまとまりたがっているようなので、 その変わりように気づいている合図に、 今…

首のかしげを火で温めれば、の話。

去年が終わろうとしていた頃、 あたしの身体が命を宿らせたいと 何の前触れもなく訴えかけてきた。 あれは国道だと意識したことがない、 大きな道にかかる歩道橋の上。 突然こぼれる涙をただ受け入れながら。 どうしてガソリンスタンドから 嫌な油の臭いは漂…

ハロー、世界、の話。

最近、ふたたび開始したのは、 本を読みながら世界を巡ろうという計画。 今回は、南アフリカかオーストラリア、 いずれにしても南半球から始めようと。 でも、最後の最後までどちらにしようか決められず、 南アフリカ出身で現在オーストラリアに住んでいる作…

研究論文の後書き、の話。

あなたが あまりにも楽しそうにしているから、 あたしはあなたの研究に励みました。 脳内に専用のラボを用意し、 あなたを顕微鏡から望遠鏡まで使って観察しては、 限りなくあなたに近づける生活リズムを譜面に起こし、 来る日も来る日も、その楽譜を元にタ…

ハムスターをお手本に、の話。

毎度訪れる沼地を歩くような日々の終わりが見え始めたのか、 あたしは今回もまた、今日という日まで流れ着いた。 結局、こうやってあたしの鼓動がまだ動いていることを 確認できる日が来るのを待ちわびたり、あるいは、 心臓が止まってしまう不安に襲われな…

あなたの魔法の足、の話。

あたしの好きな人、はやさしくて。 耳が聞こえなくなるその直前まで、 全身を金魚すくいの網に見立て、 聴覚以外の感覚器も応援に駆け付けさせ、 あたしのがさがさ交じりで、ぼそぼそした ごにょごにょの行く末を見守ってくれるのです。 どんな音も言葉も、…

自分の身体を食べ尽くす、の話。

ぞくぞくするような気持ち悪さがたまらない快感を伴うのは、 身体の外側で延々と起きるめまぐるしい出来事より、 身体の内側に広がりゆく無限の世界で起きること。 自分の身体を自分で食べ尽くすことは、 世の中で一番大切にしていい行為なのに、 背徳感や裏…

愛犬が亡くなった、の話。

また起きた。どうしてなのか。愛犬が急死した。 家にいたのに、その死に目に会えなかった。 お母さんだけがその辛さを引き受けないといけなかった。 何より、何の悲しみもちっとも舞い降りてきてくれない。 前回もそう。あたしがお風呂に入っている時に、 ま…

写真鑑賞は未だに苦手だけれど、の話。

40年分の日本現代写真に触れてきました。私は、ずっと写真を見つめること、 写真を味わうことに恐怖を覚えていた。 その感覚は刷り込みによるもののようで、 原因不明の病にかかっているのだと諦めていた。 今回の展覧会は、 そんな写真鑑賞への苦手意識が …

マチルダは20年何一つ変わらず、の話。

21年前の9月14日、その映画は封切になりました。 日本では1995年の春に公開されたようなので、 私を含む日本でご覧になった方にとっては、 今年は『レオン』20周年の年になります。 『レオン』は、私がはじめて好きになった映画。 マチルダは、私がはじめて…

夢の中で嗅覚を回復させる、の話。

明け方、こんな夢を見た。 そして、これは取り留めなく ふらふらと綴られていきます。 あたしは戦時中の日本にいるようだ。 過去の人が加工した文書や映像からの 情報でしか知らない大戦のイメージ、が 夢の隅から隅まではこびる。 そんな実態のない虚無感漂…

何も映してはくれない目、の話。

写真撮影OK、な写真の展覧会へ足を運びました。 まだうまく言葉に託せないので、 図録に寄稿されていた文章などを ひとつにまとめる作業に取り組んでいます。 写真を被写体として見つめ、 レンズ越しに作品を鑑賞する体験。 写真にカメラを向けることで、 …

ピンクのもやから黒いほくろへ、の話。

それは、気になるほくろそのもの。 実際のサイズよりも大きく見える黒い丸。 いつも天井の片隅あたりにひっそりと。 ひょっとしたら虎視眈々と機会を伺っている。 それは凄まじいほどに大きく見えたと思えば、 妙に深みがかった黒味を帯びたり。 場合によっ…

育んだ、わけではなく、育まれた、の話。

他のブログも開設したのですが。 どうやらそこに書くことに緊張感が帯びているようで、 単純にもやもや、を取り除きたい時には、 ついここに文字を打ち込んでしまうのでした。 このブログ。 心の様々な巡りを良くするための 誰のためでもない自分のための ス…

サービスエリアでお逢いしましょう、の話。

人の人生が交わることなんてほとんどない。 どんなに自分で望んで一緒にいる人だろうと、 どんなに長い時間を共有した相手だろうと。 人生のほとんどの時間は、ひとりぼっちなのだ。 だから、自分の喜怒哀楽は、人任せにしない。 そして、もし人生同士は交わ…

外付けHDDさながらな生命力、の話。

今、何かの狭間にいる。 何と何の間か、は分からない。 ただ分かるのは、自分の周りに二種類の空気が入り混じっていること。 そして、そのことに気づいている時点で、 もう自分の身体は、新しい空気にしっくりし始めている、ということ。 何かの狭間にいると…

塵が積もって、山になって

今年に入って、映画館で63本映画を観ました。昨年から映画館で映画を観る回数が、 一昨年から映画そのものに触れる回数が増えていたものの、 某映画館のアンケートに書いていた 年間目標(50本)を優に超えてしまいました。そろそろ、感想を書いていくことも習…

ハンカチ落としの鬼、の話。

私は数か月前に、またもや職を手放し、 更には、身近だった人や地域と距離を置き、 今は何にもない生活に身を委ねている。 ここ数日は、この生活にうまく順応できず、 ハンカチ落としの鬼のように、輪に入りたいが、 誰を、何を、引きずり落とせばいいか分か…

逃げるが勝ち、の話。

まじめにコツコツと仕事や生活と向かい合っている人は、 「旅に出たい」と打ち合けると「現実逃避」とやんわり指摘してくれる。 現実逃避、したいほどに、真剣に生き延びようとすることのどこが悪いのか。 私は、逃げよう、と心身を震わせて日々を送る方が、…

銀の幕の上でサーフィン、の記録。

<観た映画 4〜7月>『her/世界でひとつの彼女』 her/世界でひとつの彼女 | アスミック・エース『複製された男』 http://fukusei-movie.com/『アトムス・フォー・ピース LIVE AT STUDIO COAST』 Hostess Entertainment Unlimited『リアリティのダンス』 映…

月にむかってうなずいた、の話。

最近、映画ばかりを観ようとする。 起き抜けの朝より仕事帰りばかりが多いのは、 映画館で観る楽しさに気づいてしまったから。 世の中の、新宿のど真ん中にあるような、 時空ポケットに転がり落ちてたどり着いたような劇場。 外の世界が滅亡に近づいたって、…

名を与えるという愛情、そして息苦しさ、の話。

今日からドラマトゥルクについて考える講座に参加し始めた。ドラマトゥルクとは何であるか。そのことを深く考えてみる講座なのだが、これは演劇界の用語であり、作品と観客を、演劇と社会を、古典と現代(など)をむすぶ立ち位置を指す。これからどういった存…

体が言葉の意味を教えてくれる、の話。

体調を崩してから2年ほどが経ち、去年から働き始めたりはしてきたけども、最近ようやく体質が改善され、体の反応が少し変わり始めたように思います。 その変化の一つとして挙げられるのが、頭で言葉の意味を捉えるのではなく、体に言葉の意味を教えてもらう…

マイナスな感情が自分を救う、の話。

ブログを再開した理由のひとつは、とても恥ずかしいのだが、自分の好きなことをしっかり認識できている上に、それで自分の居場所を着々と築き始めている知り合いたちに嫉妬した、という下らないものだ。 でも、嫉妬や嫌悪という感情も、無視してはいけない体…

ブログをパッチワーク、の話。

ひとりひとりのブログをつなぎ合わせて、一つのものとして見せたら面白いだろうか。一日一人で365人集めてもいいし、なんでもない一日に対する複数人のブログでもいい。

ラベルから自由なのは、の話。

アートとか、美術とか、演劇とか。文学なのか、音楽なのか、映像なのか。そういったラベルを貼る作業が好きな人はきっと誰もいないのに、それらの表現を支える人たちには、その垣根を無視する選択肢はないようで。そういったことから唯一自由になれるのは、…