首のかしげを火で温めれば、の話。

去年が終わろうとしていた頃、
あたしの身体が命を宿らせたいと
何の前触れもなく訴えかけてきた。


あれは国道だと意識したことがない、
大きな道にかかる歩道橋の上。
突然こぼれる涙をただ受け入れながら。
どうしてガソリンスタンドから
嫌な油の臭いは漂ってこないのかと、
常々不思議に思っていた疑問も
併せて浮上してきたものだから、
そちらにも気を配りながら泣くことにした。


あたしは生まれたがる命の代わりになり、
泣きわめくという言葉が間違いにならないよう
丁寧に泣きじゃくった。
そんなふうに泣いたあたしは
あたしのどこを探しても記憶にない。
と言いたいのを我慢しなければならないのは、
あたしは過去に洗濯機の前で
お母さんにすがるように声を上げて
泣いたことがあるから。


身体はいつも頭より先に
大事なことに気づく、という
幾度となく噛み締めたはずの事実を
すっかり忘れていることに今朝気づかされた。


下の世代の皆さんには心地よく聞こえる
モスキート音に首をかしげながら、
首が傾いたまま、読んでいた本を眺めていた。
11歳の男の子が、お母さんの容態を気遣い、
火をおこしたり、お湯を沸かしたりしている場面。


本のページから聞こえるパチパチ鳴る火が、
あたしの首の傾きを立て直す。
人は自らでは聴き取れなくなった音を
自分の遺伝子を受け継ぐ分身に
代わりに聴いてもらいたいのです。
自分の身体をどこまでも拡張させたいのです。


そんなことを少しばかり知り得たのです。