あの時日本にいなかった、の話。

筑紫さんの追悼番組で、彼がキャスターを務めていた時の様々な事件を振り返っていたのを見て。


度々思い出すことなのですが、私は、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件があった当時、日本にはいませんでした。それって、日本人としての人間形成に影響しているのでしょうか。


その当時日本にいたかったと思っているわけでは全くないのですが、私はいわゆる国民のアイデンティティ形成の多くの部分を「社会面で扱う出来事」という要素が担っているのではないかと睨んでいるのです。ギロリ。


昔から「同世代」というものに淡い興味があるのですが、同じ時に同じものを見て生きていることって、とっても大きな共通項。
例えば、小学校にどのアニメを見て育ったかが同じというだけで、ちょっとした価値観は似通ると思いますし、何より同調したくなる要因になると思います。(小学生は自分の判断に基づく選択をしていないので、そのことがより一層同調したくなる理由なのかもしれませんが)


ひとりごとにしては長くなりすぎましたね。でも、帰国子女の方なら一度は感じることだと思うのですが、「あの時日本にいなかった」は「あの時アメリカにいた」よりも絶対影響力があると思うのです。



ちゃんちゃん☆