こつこつ、こそこそ、の話。

よくよく考えると、校正と打ち込み系の音楽は突き詰めていく作業という観点で似ていると思われます。
その相手が文字か音かというのが違いなのですねん。


その前提で考えていくと、旋律も文章も本当に似ている部分が多いわけです。
いずれも、理論に基づいて美しい線を描くことが出来るわけですが、
どうしてもその良し悪しが理論に沿っているかどうかのみで判断できない部分もあり、また、味気ない。
正しいはずなのに味気ない、と結果的にはそれはいいものとは見なされないのです。
そこで、人による手作業の登場◎
文章や音楽の良し悪しの最終チェックは、人間に委ねられるわけです。
理論化されることで、一度人の手から離れたものが、また人の手に戻ってくるというイメージがわきます。