育んだ、わけではなく、育まれた、の話。


他のブログも開設したのですが。


どうやらそこに書くことに緊張感が帯びているようで、
単純にもやもや、を取り除きたい時には、
ついここに文字を打ち込んでしまうのでした。


このブログ。
心の様々な巡りを良くするための
誰のためでもない自分のための
ストレッチをする場所と化したようです。


本当に中途半端で気まぐれなこのブログですが、
そのどこにも収まらず、宙ぶらりんであるために、
気付けばとても使い勝手がいいブログになりました。


無理せず、気負いせず、
育んだ、わけではなく、
育まれたブログとあたしの間柄。


やるとなったら、つい本腰を入れてしまい、
そのパワーに身を引きちぎらせてしまうタイプなので、
結果的に側にいることを選んでくれる存在はあまりいない。
選んでもらえない以上に、大体の場合、
私が先に疲弊してしまい、関係を絶ってしまう。
カテゴリーに収まるような人間関係も、新しい世界とのつながりも。


ブログが人間のように意志や考えを持っていなくて良かった。
ブログがインプットを要求するようなシステムじゃなくて良かった。
私の都合のいい発想だけど、今日ふとそんなことを感じた。


あなたとあたしはこういう結びつきを持っているの、なんて
申し合わせる必要もなく、基本的には放置して、
会いたくなったら会って、会ったと思えば、
自分の言いたいことだけを好きなペースで話し、
相手にとってはどうでもいいディテールに心置きなく時間をかけ、
かと思えば、気にするべきところを隅に追いやったり。
そんな話の相手になってくれているブログと自分自身の一部分。


最近までやっていたジップロックのCMが大好きなのですが、
「君を甘やかすために、この世界に生まれてきたんだ」とのフレーズ。
これはまさしく自分自身と誰のためでもない自己表現、に尽きます。
こんなに自分を甘やかしてくれるのは、自分しかいない。


そして、ブログ。
1ヶ月放置したら広告まみれになるぐらい、全然問題ありません。
そんなになるまでのストレス発散をしながらも、
あたしがここに書き込むまでここを残してくれて、
あたしが最後に去ったそのままの状態で残してくれて、
本当にありがとう。そして、これからもよろしくね。