埋もれていく想像力、の話。

天使の輪から落ちる粉が降り注ぐかのごとく穏やかな現実に、
唐突に目の前に落ちてくる巨大岩のようなリアリティに、
「経験した/しない」が持つ切れ味に、人はどんどん分断されていく。


経験を積み重ねれば重ねるほど、
自分と同じ経験を持つ人物は減っていき、
更には自分自身も、忘却や錯覚や仮想現実に惑わされながら、
経験したこととしていないことが曖昧になっていく。


あなたが経験したことを私はまだ知らないし、
あたしの身に起きたことは誰にも分からない。
そんなズレばかりが、意志に反して蓄積され、
相手の感覚を想像力で補う余地はどんどん蝕まれている感覚に陥る。


人が経験したことだけしか分からないように出来ているのは、
小さくて弱い肉体が、溢れんばかりの混沌を呑み込みすぎて
容量オーバーしないよう気遣ってくれた神様の優しさによる。


想像力、はその贈り物を目の前にすると無力だ。
想像するためにも経験が必要になっている
その力関係からも、想像力の地位の低さが伺われる。





地震で揺れ、足元に亀裂が走り、落とし穴が出来ると
そんな考えに埋没する衝動が止められない。


共有できないことこそが
生きる、を支えているその事実があっても、
経験の山に埋もれていく想像力の息の根が
止まってしまう日は刻々とやってきているのだろうか。