震災の夜、大空を舞うサラリーマン、の話。

歩いても、たいして進めない。
右足と左足をせっせと交互に前に持ち出すけれど、
物理的にも精神的にも、1時間に4kmしか歩みを進められない。
定期的にそのことに気付き、少しばかり落ち込む。


その度に連想されるのは、
あの3月11日に帰宅難民となり
7時間ほど歩いたあの夜のこと。


歩道は人で埋めつくされていたけれど、
静寂の音しか聞こえてこない
そんな都心の夜ははじめてだった。


あれだけの人がいたのにもかかわらず、
全員でひとつの存在体であるかのごとく。
みんな乱れひとつ出さないと言わんばかりに
お国のために行進する気概と勘違いされても
おかしくないような歩き方で帰路を進んだ。



その中で、背広姿のサラリーマンが一人、


その沈黙や整然とした歩みに耐えられず、
前の人を追い抜き、走り出した。



その姿は痛ましいほどに、生きたいと言っていた。


歩いているだけじゃダメなんだ。
走らないと、走らないと、
命を燃やすための炎は大きくならないんだ。



周りの人からは罵声を浴びせられていたけれど、
あたしにとっては、その後ろ姿はまるで
大空へと飛び立つタカのようで。
実に凛々しく、美しかった。



歩みを遅め、ゆっくりと進むことばかり。
ウサギが理想的なわけではないけれど、
カメ、ばかりが擁護されるのはなぜだろう。
地震はこれに限らず私の価値観を大きく揺らがした。



歩けば、道端を彩るすべてが尊いと気付くけれど、


それだけじゃダメなんだ、歩いているだけじゃ。