愛犬が亡くなった、の話。

また起きた。どうしてなのか。愛犬が急死した。
家にいたのに、その死に目に会えなかった。
お母さんだけがその辛さを引き受けないといけなかった。
何より、何の悲しみもちっとも舞い降りてきてくれない。


前回もそう。あたしがお風呂に入っている時に、
またどうせ自分のことしか考えていなかった時に、
老衰していた愛犬が他界した。


最期の数日はずっと近くで見守っていたお母さんでさえ、
愛犬の死に目を見守ることはできなかったようだ。
いつもならそんな時間に来ない夜遅くの突然の宅急便を受け取る中、
「では、お釣りになります」なんて言われた声に混じり、
とても寂しそうな、小型犬なのに遠吠えのような声を出し、
お母さんが玄関から戻った時には、息を引き取っていて、
あたしが悠長にお風呂から出たのは、その30分も後だった。
同じ家の中にいて、どうしてこんな時間差が起こり得るのか。
自分の日頃の愛犬に対する薄情さが露呈されたように思えた。


今回もそう。しかも今回は不慮の事故で、
6時間前にはピンピンしていた愛犬が、
散歩で少しばかりいつも以上に興奮したあまり、
突然身体が動かなくなってしまったようで、
帰りは母親が抱っこされてきたとのこと。
同居しているのに、あたしには全てが伝聞の話だ。


近所に住むブラックジャックと言われる獣医に電話すると、
「今日は税務署なんですよ」と3月の風物詩である確定申告中。
「なので、税務署終わったら、また連絡しますんで」と言われても、
「ああ、あたしもやらないと。忙しいのに偉いな」なんて思うぐらいで、
愛犬が早く診てもらえないことに怒るなんてことは微塵もなかった。


「(愛犬の)近くで作業するから、
お母さんは自分のことしたら?」と聞くも、
「大丈夫よ、気にしないで」なんて優しい言葉に、
いつものごとく甘えてしまった。茶番である。
そんなこと聞くぐらいなら、お母さんの答えにかかわらず、
さっさと愛犬の近くで作業をしたら良かったんだ。


そんなだから、ふと自分の部屋から居間に降りた時には、
もう愛犬はお母さんに連れられ、病院に向かった後で、
「一言ぐらい声かけてよ」なんて傲慢さも混じってはいたけど、
「思ったより早く診てもらえたな」なんて安心の気持ちが大きかった。


何よりその間、自分の部屋で、パソコンに向かい、
あたしはまた自分のことだけ考えていた。
自分だけが喜ぶような、あんたくだらない文章を書いて、
気持ちはすっかり「自分の世界」なんてありはしないものに授け、
それって言うならば、ご機嫌だったということだろう。


居間に降り、愛犬がいないのを認めた後、
再び自分の部屋に戻り、ようやく今度は
「やるべきこと」に手を出そうとしたその時、
お母さんから電話がかかってきた。
電話が来た瞬間は、特に何も思わなかったのだが、
電話を取った瞬間、愛犬は亡くなったんだなと
ごくごく自然に気持ちがそんな思考に向かった。
その考えを否定したいとも思わなかった。


それを聞いても、あたしは特に動じることもなく、
また愛犬の息を引き取るタイミングで、
同じ家にいながら、自分の事しか考えていなかった
その奇遇ぶりに、首をかしげることしかできなかった。
電話越しの母親は実に気丈に話してくれ、
そのことには心が痛んだのがせめてもの救いだ。


実感がわかないのもあるだろう。
でも、きっとそんなことじゃなく、
あたしには愛犬の死の重みが
どうしても、のしかからないのだろう。
本当に何でか分からない。
昨日の夕飯だって、愛犬は、
あたしが用意したのもを食べてくれたのに。
何にも関わりがなかったわけではない。


母親からの連絡をもらって、最初にしていることが
こんなところにこんな文章を書き殴ることという時点で、
多分何かがおかしいに違いない。


ちなみに前回もそうだったのだが、
今回も、亡くなる数日前から、
あたしは自律神経失調症になっていて、
本当に自分のことで精一杯な上に、
周りの大切な人達にも
そのことを一方的に押し付けて、
それなのに、皆は本当に優しくて
母親も「無理しないでね」なんて
軽くさらっと心配してくれて。


この因果関係はいったい何なのだろうか。
あたしにもう身勝手な悲しみに染まるなと、
そんな横柄な態度で母親に心労をかけるなと、
愛犬たちが身体を張って、
あたしに伝えてきているのだろうか。


ただ、その頑張りは本当に残念なことに、
あたしに降りかかってこないのだ、どうしても。
実際、あたしは今夜に迫った大切な面接を
延期することはしないつもりなのだ。


遠藤周作氏の『海と毒薬』に登場する戸田医師を思い出す。
悪を働いた時に自分は良心の呵責を覚えるか、
軍事医療の発展のために不可欠な、
被験者を確実に死に追いやってしまう、
人体実験(つまり、殺人行為でもある)に加担するのだが、
戸田医師にはどうしても罪悪感が芽生えてこない。
そのことをただただ不思議に思うという登場人物だ。


あたしは、この戸田医師を、
はじめて『海と毒薬』を読んだ頃から
幾度となく思い出している。
中1で読んでから一度も読み直していないし、
思い出すのは時折ではあるが、
忘れた、ことは、あの日から一度もない。
その事実ばかりが、前回も今回もリフレインしている。


いずれにせよ、こんな時に、こんなことが起きたのに、
こんなところに文章を残し、しかも、
こんな駄文しか残すことができないあたしを、
誹謗中傷してもらい、蔑んでもらうことしかできない。


そんな自分を叱ったり、痛めつけ、傷つけることすら、
他人に任せようというあたしは、どこまでも救いようがない。