すべては もうあたし側で、の話。

あたしの身体は、
あまりにもその世界に溶け込み、
そこで起こる出来事に何ひとつ疑問を持ちません。


あたしは あたしの境界線を保つのが下手ですから、
虎が算数の宿題をお手伝いしても、
片耳を切った男性が同じ耳を切ろうとした時に、
刃が通った感触がないことに あたふたしても、
人参が多いポテトサラダがご飯に出たとしても、
すべては もう分かっている出来事なのです。
すべては もうあたし側で起きているのです。


あるいは、その世界には、
あたしにとって目新しいことは何ひとつなく、


すべては あたしが生まれる前から知っている
その世界を、そして、この世界をも司る甘さなのです。


『西瓜糖の日々』さんへ (2通目)