愛称をつけた未知の大海、の話。

固有名詞は使わない、が自然と決めごとでしたから、
あたしの言いたいことは どこの地面にも着地しません。


でも最近は、いっときに比べ、
文章の溶け具合が穏やかになり、
言葉がまとまりたがっているようなので、
その変わりように気づいている合図に、
今日はひとつの、ひとりの固有名詞に頼ります。





あたしに真実を語るのは笑顔より涙だから。
顔にできる笑い皺よりも、心に刻まれる泣き皺のほうが、
最終的には あたしを本物のほほえみに導くと信じています。


本物は外からはっきりとは分からない。
本物は意識を集中させないと捕まえられない。
プロデュースされた顔のゆがませ方とは違う表情のことです。


たくさんの涙がこぼれる夜の翌日は、
これまでに流した涙がどれほどの小川になるのか
どんなに涙を流しても、どれほどもの大海にならないか
そんなことを考えます。


どんな大海にならないのか想像するたびに、
地球上に海が誕生した時のお話を思い出します。
ものすごい勢いで降った雨から生まれたことを。


誰もが知ってる海は
空がこぼした大量の涙でできたのに。
あたしが流す大量の涙は、
あたしが愛称を付けた未知の大海になりません。


それなのに。
その固有名詞な愛称が何であるかを
いつまでも書けずにいるあたしがいて、


それは きっと、その海を臨めないのは
まだ涙が流し足りないだけだと あがいていて。
さらに それを悪あがき、だとも思っていないようです。