ちっぽけで、いとおしい、の話。

去年までのナツは、空白の日々をイロトリドリに埋めていく季節だったので。

今年の夏は、夏休みを取らなかったこともあり、
過ぎてゆく一日一日が、「タダノアツイヒビ」になってしまいそうに。
それでも、ナツはひょっこりと、時折、顔を出していた。


8がつのあつい日には、野外で音楽を聴きに行き。
一緒にいた友達が放った
「今日は、一番夏を感じる日になるだろうなあ」の一言が、
清々しく、そして、心に染みた。

さまざまな音楽家が奏でる重低音が、右手に持っていたポカリスエットを介して、
あたしの体に振動を与えていた。
電解水、の興奮が、あたしをドキドキさせていた。

そして、最後に登場した「教授」と呼ばれるおじさまを含んだトリオの演奏を聴き、
まぶたは閉じることを忘れ、汗ばんでほてった肌が、さぶいぼを立てていた。
それから、一回り以上離れている大人たちに囲まれた中で、一緒に懐かしさに浸る真似をした。
ほんとは、初めて生で体感する彼らの作品に、ただただ圧倒されていたのに。


8がつのむしむしした夜に行ったバー、は
多国籍、というよりも無国籍なふんいきで。
少しほろ酔いで、洋楽の合間から聴こえてきたクラムボンの楽曲が、キラキラしていた。
あたしは、その曲の名前がどうしても思い出せず、
帰り道は、ずーっとずっとその曲をハミングしながら、取り戻せない記憶を気にしていた。


ロッポンギと家の行き来の合間では、
少年がコンビニの前に止めていった自転車のかごにあった、
プール袋から漂う塩素のにおいが、あたしの鼻をツーンとさせた。
「ああ、今、夏の中にいるんだ」と感じた。


8がつのおわりにいった富士の山、では
夜空の星はこぼれそうで、朝の空模様に目も心もうばわれた。
季節はずれの寒さに夏はなかったけれども、
下山して、踏みしめた最後の一歩が「夏が終わった」とつぶやいていた。
その時なぜか、風鈴、の音が頭のなかで聴こえていた。

下山とともにつれてきてしまった大きな雨雲は、
そのあと、何時間も何時間も雨をふらし、
散りばめられていたナツのかけらをすべて流し去ってしまったよう。


ちっちゃいけれど、一つ一つがキラキラしていて、
なんだか忘れられない一瞬ばかりが、今年のナツには集まっていた。
雨ごときで流されてしまうようなものだったかもしれないけど、
だからこそ、いとおしい。

あたしは、きっとこのナツのキラキラを忘れない。



9がつに入っても、まだ暑い日々が続くけど、
もう夏は終わっている。
毎朝、窓から入ってくる風のにおいはすっかり変わってしまったから。


好きな季節がまた一つ終わり、好きな季節、がまたやって来た。