めるみほしきなお芝居7【ネタばれ】 〜ポンヌフの恋人〜
カラックスの中でも、最も有名であるこの作品。
映画にしか出来ない表現がふんだんに盛り込まれています。
カラックスの映画では『歩く/動く』というモチーフがとても大切にされている。
デビュー作からそのシーンは登場し、
『汚れた血』では象徴的なシーンへと昇華し、また、エンディングでも使われる。
『ポンヌフの恋人』以降に撮影された『POLA X』でも、大切な会話は大抵歩きながらなされていて、
『TOKYO』では全編と通して、主人公はただただ歩いていた。
そして、この『ポンヌフの恋人』と新作の『ホーリー・モーターズ』。
前者では、愛する二人は、川を、街を、橋を駆け抜ける。
体を重ねる代わりに、「歩きましょう」と誘う。
しかし、主人公のアレックスは、しきりにポンヌフ橋に帰りたいと告げる。
彼にとって、橋と恋人のミッシェルという拠点があるからこそ、
立ち戻れる存在があるからこそ、解放的になることができていた。
しかし、最後のシーンで、数年ぶりにポンヌフ橋での再会を果たした彼らだったが、
数年前まではいつまでも一緒にいてくれたミッシェルは帰らなければならないと言い出す。
アレックスは怒り心頭で彼女を道連れに橋から飛び降りるのだが、
その時、初めて彼は自らの意志で橋を離れたのだった。
そして、この行為は橋と彼女という二つの拠点にがんじがらめにされていた彼が、
橋よりも彼女を選んだ瞬間でもあったのだ。
その想い伝わってか、最後にミッシェルもアレックスと共に生きることを選ぶのだ。
一方の『ホーリー・モーターズ』。
こちらの主人公は、拠点を持たない。
それゆえに、ずっと動き続けていないと生きていくことが出来ない。
あるいは、その逆で、絶えず変わり続けることを望むからこそ、
戻る場所・佇む場所を放棄しているのかもしれない。
こうして、カラックスの作品の主人公たちは、
作品を追うごとに動いて動いて、ひたすら駆け抜け、
しまいには、その状態が通常である段階までに至ってしまった。
さて、次はどこへ。