顔はひとりでに語る、の話。
これはまた震災の頃のお話。
3月12日、家族で食料を買い込みに、
外へ出た時のことを思い出す。
あの時の街ゆく誰もが
緊張感を前面に出した顔つきを。
あたしは今まで街中で見たことがない表情に
傷つきながらも、それらを安心材料にしていた。
私たちは皆同じ方向を向いているのだなと。
時間がかかったとしても、
必ずまた心から安心できる日が来ると。
今日の16:30頃の報道後、街に出てみる。
みんなの表情は、普段どおりだった。
顔は、自分の心の内を、
無意識に、ひとりでに、語るのだ。
人って動物なのだなと改めて思う。
身体を直に揺らがした体験は、
心を傷つけたり、安堵させる経験よりも
深く身体に刻み込まれるのかもしれない。
そういう意味では、賛成派だろうと、反対派だろうと。
その声を届かせるために身体を動かした人々にしか
語れないことや出せない顔つきがきっとあるのだろう。
心で処理しきれないことは、身体に託すほかないのだ。
身体も知覚器官なのだと自分に言い聞かす。
身体を必要以上に守ることなく、晒していく勇気を。