写真鑑賞は未だに苦手だけれど、の話。

40年分の日本現代写真に触れてきました。

私は、ずっと写真を見つめること、
写真を味わうことに恐怖を覚えていた。
その感覚は刷り込みによるもののようで、
原因不明の病にかかっているのだと諦めていた。


今回の展覧会は、
そんな写真鑑賞への苦手意識が
ほんの少し溶けるような。
そして、写真に対する抵抗感の
原体験にあたる作品群を特定できたように。


私が上手く馴染めない写真作品は、
全てのうちのほんの一部だということ。
先日書いたように、自分が知るものは
大河のうちの一掬いの水なのだと。
そんな自明なことに気付くのに、
わざわざ40年分の写真表現に触れないと分からないなんて、
自分はなんて思うように頭脳を働かせられないのだろう。


2010年代J-POPベスト盤、のような展覧会は、
私はもともと嫌いではないけれど。
この展覧会を観たことで、
私の中の写真史、に節目が生まれるなんて、
そこまでの体験になるとは想像していなかった。


この展覧会にも作品が展示されていた
(つまり過去に木村伊兵衛写真賞を受賞している)
畠山直哉さんが以前、
『ここに、建築は、可能か』展
「リアリティ」についてこう話していたと記憶している。


リアリティがある出来事、とは、
その出来事の前と後で変化を伴うものだと。
ビフォーとアフターの区切りになるものだと。


つまり、私にとってこの展覧会は
まぎれもないリアリティを持ち合わせていた。
観る前の感覚は思い出せるけれど、
その感覚に戻ることはおそらく出来ない。
そんな気持ちにさせてもらった展覧会となった。


かと言って、写真鑑賞への苦手意識は
消えていないし、実際に観るのは下手だけれど。



時間はかかりそうですが、
少しずつこの展覧会で受け取ったものを
ここに残していければと考えています。