ハムスターをお手本に、の話。

毎度訪れる沼地を歩くような日々の終わりが見え始めたのか、
あたしは今回もまた、今日という日まで流れ着いた。


結局、こうやってあたしの鼓動がまだ動いていることを
確認できる日が来るのを待ちわびたり、あるいは、
心臓が止まってしまう不安に襲われないよう、ハムスターをお手本に、
立ち止まらずに足元の回し車を動かし続けないといけないようで。
そんな旅路が毎月懲りずに漏れずに用意されていることが、
あたしの手のひらに乗っかっている現実だとは今でも信じたくない。
(きっと心臓のメンテナンス期間なのでしょうが、あまりにも長くはないでしょうか)


(長くは)立ち止まってはいけない人たちがいて、
常に身体を火照らせていないと自らの体温を実感できない人たちがいて、
休むという行為も含め、24時間が埋まっていないといけない人たちがいて、
ぼーっとする時間も、覚悟を決めてぼーっとしないといけない人たちがいて、
あたしはその様子を見物しているつもりだったのだけれども。


どうやら、あたしはその風景に溶け込む方が
うまく呼吸できるのかもしれません。
どの絵画に描いてもらいたいかを慎重に選ぶことさえできれば。


どこか書きたいことと違うなという首の傾げを織り交ぜながら、
新たな覚悟の仮説を立ててみる。