研究論文の後書き、の話。

あなたが あまりにも楽しそうにしているから、
あたしはあなたの研究に励みました。
脳内に専用のラボを用意し、
あなたを顕微鏡から望遠鏡まで使って観察しては、
限りなくあなたに近づける生活リズムを譜面に起こし、
来る日も来る日も、その楽譜を元にタップダンスを練習しました。


練習すると、音の羅列は旋律に聞こえるようにすらなり、
リズムの刻み間違いがあった箇所は何度でも採譜し直し、
あなた、という感覚を再現することは
あたしにとって、どんどん自然になりました。
低燃費で、足応えのあるタップダンスに。


目標を立て、それに向け 自分のすべてを総動員し、
その成果にどんどん磨きがかかる
そんな踊り甲斐がある歩道があるというだけで、
タップシューズが鳴らす音は響きが増す分、
あたしには そのダンスが楽しく感じられました。
あなたも、その様子を面白がってくれているように見えました。
面白がってくれるあなたを見て、あたしはますます嬉しくなりました。


でも結局のところ、それはあたしの身体が奏でる音ではありません。
靴を脱いでみると、あたしの足は血まみれでした。


人も、あたしも、覚悟を伴わない真似事は認めてくれません。
あたし自身の音ではないことに気付くまでのあたしには、
無自覚ながらに それなりの決意があったのでしょう。
でも、人のフロアでかき鳴らす人の踊りで満足しているのか。
その自覚が目覚めた問いを突き破れるほどの勢いはない模様です。


ものまねやコスプレや演技で輝く人たちは、
その仮面を外している間のすべての時間を、
その仮面の完成度をより高めるために費やすでしょうから、
実際に仮面をつけているかいないかは表面的なお話で。
つまり、その人たちはどんな瞬間だって
仮面のことを忘れてなんかいないのです。
これが覚悟の伴った真似事。


オリジナルか、イミテーションか。
問題はそこではなく、そこに覚悟を持てるかどうか。


あたしのダンス。あたしの仮面。
それらを探すのではなく、あたしのスイッチを見つけるのです。


*****


それでも、研究に夢中になれたこと、練習に勤しめたこと。
その成果あって、あなたに重なれた瞬間があったこと。
それらすべてが(辛い時もあったと認めた上で)楽しかったことに、
嘘偽りはないと、今この瞬間だって納得できること。


あたしを否定し続けるあたしがそう受け止められるほどに、
この研究に全力を尽くし、濃い時間を淹れることができたという事実は、
誰にも侵されず、奪われずに、空に瞬く一つの星となれるでしょう。


あなた、の研究者という肩書きを、今、身体から取り外します。