分かりにくい手段、の話。

・アートは手段である
・アートは得体が知れないものである
という前提の旗を、私は掲げています。


手段、であるということ。
つまり、作品をつくること自体が目的になるのではなく、それをつくることによって何が起こるかが重要だと思います。
それをつくることで何かが解決されたり、何かが変わったり、何かに気がつけたり。
当たり前のことなんですが、こうやって言葉にしてみないとなかなか気がつけないのであります。


そして、得体が知れないもの、であるということ。
もしそうだとすると、アートのテーマになるものは得体が知れないものではいけないように思えます。
もともといまいち分からないものを、これまたさっぱり分からないものを切り口にして見ても、個人的にはあまり面白いと思えません。
だから、社会性に帯びた作品の大切さが主張されるのだとも思います。
だから、最近の日本のアートシーンでは「日常」をテーマにしている人達が成功?しているのかもしれません。


上について、もう少し続けます。
例えば、ファンタジーとかシュールレアリズムとか超現実的なもの。
これは、実用的で分かりやすい「言語」というツールを使って表現することで、それらの得体の知れなさが分かるのだと思います。
こういったものをパフォーマンスなどで表現してしまうと、もう何が何だか分からなくなるのではないかなと考えてしまいます。


物事には、「手段」と「テーマ(中身)」があって、それぞれの性質は反対のものがいいはず。
「分かりやすい」内容を「分かりにくい」ものを使って、また面白くみせる。
「分かりにくい」内容を「分かりやすい」ものを使って、距離を近づける。
基本的には、このどちらかなのではないでしょうか。


だから、分かりにくいものを題材にした作品は、やっぱりあまり好きになれません。